以下は、「ミス」と「ADHD」という観点から、自分自身の在り方や考え方の変遷を綴った記事です。多くの人が、日々の中で「自分はミスが多い」と感じたり、「なぜうまくいかないのだろう」と思い悩むことがあるでしょう。その中で得た気づきと学びを共有したいと思います。
人間にはミスがつきもの
誰しも、人生の中で大小さまざまなミスを経験するものです。それが人間という存在の本質かもしれません。完璧な人間など存在しない。だからこそ「ミスがある」という事実は、ある意味人間である証とも言えます。
私はこれまで、毎日のようにミスを重ねて生きてきました。取引先や同僚、家族からの指摘が絶えない日々。ちょっとしたことで物を無くしたり、忘れ物をしたり、期限に間に合わなかったり。多くの人はそう頻繁にミスをしないかもしれませんが、私の場合は、ほぼ毎日のように何かしらドタバタが起こる。それが当たり前の状態でした。
ADHDという特性との出会い
なぜ自分はこんなにミスが多いのだろう――そう考え始めたのは、社会人になり、結婚して子どもが生まれ、環境が大きく変わった頃です。実家を出て、家族以外の人と長く一緒に暮らす中で、「自分は他の人と少し違うのではないか」と気づき始めました。
振り返れば、子どもの頃から忘れ物が絶えず、片付けも苦手。嫌なことは先延ばしにするクセも抜けない。そんな自分の性質が「ADHD」だと診断されたとき、正直ほっとする気持ちがありました。単に「だらしない人間」ではなく、生来の特性としてそういう傾向があることがわかった。もちろん、その瞬間に自分が劇的に変わるわけではありませんが、「こういう理由があったのか」と納得できたことは大きな意味を持ちました。
ミスのとらえ方を学ぶ
しかし、ADHDだろうがなかろうが、ミスは人生の一部であり、向き合い方は自分次第です。「自分だけがこんなにミスしているんじゃないか」という思い込みにとらわれていた私ですが、最近ある考え方に出会いました。
そのきっかけを与えてくれたのは、メンタリストDaiGoさんが運営する「D-Lab」で紹介された、「ミス」へのとらえ方です。
誰にでもミスはある
DaiGoさんは「ミスは誰にでもある」という前提に気付かせてくれました。普段から平然と生きているように見える人だって、過去に大きなミスをしているかもしれない。そして、そのミスを完全に忘れたわけではないにせよ、上手な「手放し方」を知っているから、あたかも何事もなかったかのように前を向いて生きているのです。
「自分だけが不器用なんじゃないか」「自分だけがミスしすぎなんじゃないか」という自己否定的な思考は、その気づきによって大きく和らぎました。人は皆、多かれ少なかれミスを抱えている。それを知らないふりをしていたのは自分だったのです。
ミスから教訓を得たら忘れる
重要なのは、ミスをただ引きずるのではなく、「考えるべきポイント」はしっかり考えること。深く考えて「なぜ起きたのか」「次はどうすれば防げるのか」を見出す。その教訓をきちんと自分の中にインプットしたら、後はミスそのものを手放してもいい。
いつまでも「あの時あんなことをしなければよかった」「なんであんな失敗をしたんだろう」と悩み続ける時間はもったいない。教訓だけを持って前に進むことが、結果的に次の成功への足がかりになると学びました。
自分なりの前進
ADHDという特性は、私の生活に独特の生きづらさや困難をもたらします。しかし、ミスに対する新たな視点を得た今、その生きづらさは少しだけ軽くなった気がします。
「みんなミスをする。そして、多くの人はミスをきっかけに学び、前へ進む。」
「学んだら、ミスそのものは忘れ、教訓だけを手にして前を向く。」
このシンプルな法則を胸に、私は今日も生きていきます。ADHDが原因でミスが減らないとしても、そこから学ぶべきことは必ずある。そして学び続けることで、いつかミス自体が減らなくても、その先にある「より良い自分」を作り上げられると信じています。
まとめ
• ミスは人間である限り避けられない。
• ADHDなどの特性がミスの多さに影響する場合もあるが、それは「だらしなさ」とは異なる生まれ持った特性。
• ミスは誰にでもあり、他の人もまた何らかの形で引きずっている。
• 重要なのは、ミスから教訓を得て学ぶこと。学んだら、ミスは忘れ、次へ進む。
• この考え方を取り入れることで、生きづらさが少しずつ和らぎ、前向きに人生を歩める可能性がある。
人間である以上、ミスは必然。ならばそれを生かして前進する。そんな心構えで、日々の失敗と向き合っていきたいと思います。