- 以下は、35年間アウトプットをあまりしてこなかった私が、その重要性に気付き始めたことについて考えを綴った記事です。同じような状況の方にとって、何らかの気付きやヒントになれば幸いです。
35年間、アウトプットをせずに生きてきた理由
気がつけば、私は35年という月日をほとんどアウトプットをせずに過ごしてきました。ブログ投稿はもちろん、Twitter(現在のX)といったSNSで自分の考えや経験を発信したこともありません。友人や家族との雑談であっても、あまり自分の意見を筋道立てて話すことができず、なんとなく話を聞いて相槌を打つばかり。自分の中には考えや意見はあるはずなのに、それを形にして他者に伝えることが苦手だったのです。
この苦手意識に薄々気づいたのは、実は高校生の頃だったと思います。当時から周りの友人たちが自分の意見や感想をスムーズに表現している中、私は輪の中にいながらもほとんど発言をしない、存在感の薄い人間でした。「あ、何かを話す能力が自分には著しく欠けているのかもしれない」と感じた瞬間があったことを覚えています。
「訓練してこなかったから仕方ない」と言えばそれまでですが、長年そういう生き方をしていると、いつしかアウトプット下手が当たり前になってしまうのです。
アウトプットの重要性に気づき始めたきっかけ
35歳になる前後から、仕事環境が変わり、アウトプットが求められるシーンが増えました。これまでは組織の中でチームメンバーのサポートを受けながら仕事を回せていましたが、最近は一人でお客様と打合せをしたり、一人で書類作成をこなさなければならない状況に直面しています。
このような明確な「必要性」に迫られると、さすがにアウトプット力を磨かなければ乗り越えられないと痛感します。打合せや資料作りは、ある程度準備すれば対処可能な面もありますが、問題は「会食」のような、準備が効かず、瞬発的な会話力が試される場です。
会食では、自分自身の過去、現在、価値観、興味関心といった、まさに「自分の中から紡ぎ出される言葉」でコミュニケーションをとる必要があります。ここで自分のコミュニケーション力が赤裸々に評価されるわけです。
結果はどうか? 正直、今は「赤点」だと思います。自分から話題を提供できない、共感を示す素養もない、話をうまく促すこともできない。頭の中に考えがないわけではないはずなのに、それらをうまく表に出せないのです。
アウトプットで得られる成長
では、どうすればこの「赤点」状態から抜け出せるのでしょうか。考えられる対策は一つ。「アウトプットを続けて、地道に表現力を鍛える」しかありません。
実際、こうしてブログの記事として乱文でも何でも「書く」という行為は、間違いなく何かしらの効果があります。たとえ質が低くても、アウトプットし続けることで、自分の頭の中に散在している考えが形になりやすくなり、徐々に「言葉にする」筋肉がついてくると期待できます。
さらに気づいたことがあります。それは、「アウトプットしないと、インプットすら効果的にできない」ということです。私は今まで「インプット」しているつもりでしたが、それは単に情報を受け身で眺めているだけでした。アウトプットを前提としないインプットは、脳内に情報を定着させず、次第に消えていくだけなのです。
アウトプットすることで初めて「この情報はこう役立てられそう」「こういう疑問が湧いた」「次はこういうことを知りたい」といったフィードバックが生まれ、より深いインプットが可能になるのだと実感しています。普通のコミュニケーターになるために
結局、普通のコミュニケーター、つまり周囲と自然な会話ができる人間になるためには、アウトプットを地道に続けるしかありません。これは文章を書くことでもいいし、SNSに短い感想を投稿することでもいい。とにかく何らかの形で「自分の中の言葉」を外に出す練習をすることが、表現力の底上げにつながります。
「普通の人間」という言葉が適切かどうかはわかりませんが、少なくとも他者と円滑なコミュニケーションを図れる人間になるためには、積極的なアウトプットが必要だと確信しています。
まとめ
35年間、あまりアウトプットをしてこなかった人間が、アウトプットの重要性にようやく気付き始めました。自分の中には何らかの考えや意見があるはずですが、それを言語化して外に出す行為は、やらない限りは上達しません。
必要に迫られて初めて動くことは、決して遅すぎるわけではありません。これからはブログやSNS、会話の場など、あらゆるシーンで少しずつアウトプットを意識していくつもりです。その先に、よりスムーズなコミュニケーション、そしてより豊かなインプットライフが待っていると信じて。